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2010.08.26

『ぼくのエリ 200歳の少女』における修正の問題。(2011.04.19追記有り)

2011年04月19日(月)追記。

下記記事を書いてかなり経ちますが今でもコンスタントにアクセスがあるようで、この作品に対する関心の深さを感じています。

下記記事は作品を観て割と直ぐの感想なので、その後DVDが発売されたりハリウッドリメイクの日本公開も決まったりしています。その間の動きを少し追記しておきます。またコメント欄にもありますように配給会社側の事情はこちらの方のブログに書かれていますので是非ご参考にして下さい。
■正しい者を、こっそり入れて■ http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2010/07/post-1cf9.html

◆ロードショー終了後、ミニシアター(横浜ジャック&ベティ)でもう一度鑑賞。多分上映素材が発売用DVDだったのか、ボカシがスクラッチ状の酷いものからかなりソフトなボカシに変更されていた(DVDは未見のなので確証はありませんが)。

◆ハリウッドリメイク版『モールス(原題:LET ME IN)』が2011.08.05(金)より公開予定。エリ役は『キック・アス』のクロエ・モレッツ。監督は『クローバーフィールド HAKAISHA』のマット・リーヴス。

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『ぼくのエリ 200歳の少女』における映倫の修正の問題です。既にご覧になった方も多いでしょうし、8/28(金)からはヒューマントラストシネマ渋谷でムーブオンされるようなのでこれからご覧になる方も多いでしょうから、ツイッターでは呟きましたが、ここでもう一度言わせてもらいます。

以下、作品の内容(ネタバレ含む)に触れますので、映画未見の方、これから原作を読もうと考えてる方等はご注意下さい。

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『ぼくのエリ 200歳の少女』における映倫の修正は、全くもって由々しき問題であります。あの修正でぐちゃくちゃになったエリの局部には何が映っていたのか?これは単に猥褻とか何とかではなく、作品を理解する上で重要なシーンであるにも関わらず、それをまるっきり観客の目から隠してしまい、結果、作品の幅を狭めてしまっているのですよ。

映倫の審査の方々はオリジナルを観て、あのシーンの意味することが分からなかったのでしょうか?だとすればそれは「映画」を審査するにはとても不適格な方々ではないでしょうか?画面に映っているものを即物的に判断していくだけなら人間でなくてもいいではないですか。映倫には映画の内容を理解する能力は必要はないの?

また、この映倫の愚行を許してしまった配給会社の責任も大きい。当然配給会社の人たちもオリジナルを観ているはずだし、そうすればあのシーンの意味するところは明確だし、あのような修正を加えてしまえば作品の解釈を歪めてしまうことは十分に分かるはず。万が一映画からそれが分からなかったとしても、原作にはそのシーンの意味するところは書かれているらしいから、容易に理解できるはずでしょ。もしかして原作に目を通してないとか?

で、肝心のボカシの裏には何があったのか。以下ネタバレしますので未見の方、作品のイメージを壊されたくない方はご注意下さい。
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これは劇場で販売されているパンフレットに書かれていることですが、エリの局部には男性器を切除した大きな縫い目があるそうです。つまり「エリ」は少女ではなく少年なのです。

どうです、これまでボーイミーツガールの切なく残酷な純愛ものだと思ってた世界が一変するでしょ?少年の父親とその友人とのシーンも見方が変わってくるでしょ?エリのそれまでの庇護者との関係とか、色々と想像しちゃうでしょ。

もちろん少女のままでも話しとしては問題ないですが、これが少年だということになるとまたひとつ深い話しになりますよね。それを映倫と配給会社の人たちは限られた解釈の中に閉じ込めようとするのは許せない行為です。

ちなみに原作の本では性器を切除するに至る過程も詳しく書かれているそうです。

百歩譲って、配給会社としては修正は避けて通れなかったとしても、それならそれであのシーンに描かれていたことを書いた紙を観客全員に配るとかの配慮はあってしかるべきではないかと思いますよ。監督は知ってるんですかね、日本でこんな形で公開されていることを。

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コメント

こんにちは。はじめてコメントさせていただきます。
(※ネタバレを含むコメントです)

フリーライターの廣田恵介さんが直接配給会社に赴き修正問題について訊かれています。(廣田さんのブログ“550 miles to the Future”の7月23日の記事「正しい者を、こっそり入れて」を参照)
実際に行動して事実を確認するという態度には、頭が下がります。
ただ、廣田さんは配給会社を擁護されていますが、やはりこの邦題はミスリードだと思うのです。“原作本でも最初は「少女」と紹介して”あるのはストーリーが核心に触れるまでの当然の処置として、主人公の主観を通して書かれているからです。真実が明らかになって表現が変わった後も、真実を知らない別の登場人物の視点で書かれた部分は「少女」となっています。
しかし、邦題の命名に関しては話が違ってきます。事実と異なることをタイトルに掲げてしまうのは、やはりルール違反だと思うのです。

日本語では男女で話し言葉に違いがありますが、あまり女言葉を使わない女性もいます。また、男女で一人称に違いがありますが、主語を省略しても、ある程度会話が成立するのも日本語の特徴です。原作の邦訳では、そこを活かして、核心部分までエリが一人称を発さず、真実が明らかになってからは「ぼく」に統一するなど絶妙な配慮がされています。
映画でも字幕に同様な配慮をすれば、観客にヒントを与えられたのではないでしょうか。

投稿: esme | 2010.08.26 10:31 午前

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