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2009.06.14

『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』感想

ヤフー映画の評価がかなり低かったのでどーなんだろう?と思って観に行きましたが、それなりに面白かったです。「気持ち悪い」とか「グロい」とか言ってる人は一体普段どんな上品な映画を観ているのだろうと思いますし、「難解」と言ってる人は、何をもって難解と言っているのか分かりません。いや、実際自分もこの映画が何を言いたいのかはよく分かりません。でもストーリー自体は、ジョシュ・ハートネットの過去が多少時間軸を前後して挿入されている以外は構成も普通だし、分かりやすいです。ただし、内容の理解は「キリスト教」を知らないと難しのでしょう。

自分もキリスト教については通り一遍の知識しかありませんが、この映画がキリスト教(イエス・キリスト)をモチーフにしていることは分かります。多分ほとんどの人がそれは分かるでしょう。そうすれば、後は誰がどんな役割を担っているかとか、それが何を意味するのかとかの問題です。そしてそこがこの映画の、特に非キリスト教徒たる日本人にとっての難しいところ。(注意:以下、ネタバレ含む
I_com_with_the_rainfly_2
(このチラシからして十字架ですからね。)シタオがイエスとすれば、その父親は「神」ですね。映画の中でも一度も姿を現しませんしね。しかも息子たるイエスが傷を負って死にそうになっても助けにきません。では、シタオはいつイエス(キリスト)になったのか?普通に考えればフィリピンのジャングルで殺された時ですよね。ここでタイトルの「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」なのだと自分は思います。生命力あふれるジャングルの中で雨に打たれながらシタオはイエス(キリスト)として再生したのです。というか雨とともに神がシタオに降りてきた。「雨」=「水」は生命の源ですからね。と、考えるとアイ・カム〜の「I(アイ)」とは神であると共に生命そのもののことなのかもしれません。

ここで疑問。ジャングルでシタオに降りてきた「神」とシタオの「父たる神」はイコールなのか?そんなわけありませんよね。とすればシタオに降りてきた神は従来の神とは別の「新しい神」なのか。そうだとすればこの映画は従来のキリスト教の神を否定してることにもなりますよね。「シタオの父」は一代で巨大製薬会社を立ち上げた人(神)で、その彼が今は「汚染」が怖いといって隔離された部屋から出てこようとはしない。つまりそれは現代は「従来の神」が創った「世界」が「汚染」されてしまい、もう手の施しようがなくなってしまってるわけですね。薬が効かない。で、「新しい神」がシタオに降りてきて薬ではなく「生命力」そのものの復活を促す。そしてシタオの「受難」が始まる。

と、するとクライン役のジョシュ君の立場は?その伝道者?つまり使徒ヨハネ?(スペルも似てる・笑)

ではシリアルキラー(殺して損壊して組み合わせて死体芸術を作る)のハッシュホードは誰か?洗礼者ヨハネ?首を切り落とされるし、ある意味シタオの先駆者。でも切り落としたのはジョシュ君だし、よく分かりません。

イ・ビョンホンは?金と暴力と女と猜疑心とで現代社会の病理そのもの?汚染源?

リリー(監督の奥さんだって)はマグダラのマリア?

と、まあいくらでも挙げられるわけですが、公式サイトにも詳しい情報は載ってなく、監督の意図は勝手に想像しるしかないわけです。

ではシタオがラスト近くで叫ぶ「ファーザー」とは誰か?「ダディ」でも「パパ」でもなく「ファーザー」。

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しかしこういうインタビューを読むと、上記のような考察はあまり意味のないもののように思えますね。苦痛を「美」として描きたかったのだとか。その「苦痛」のモデルがキリストだったと。

「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」トラン・アン・ユン監督 (YOMIURI ONLINE:2009.05.29)
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芸術作品に論理的な整合性を求めても意味のないことなので、キリスト教的な視点でこの映画を解釈するのは無駄なことかもしれませんね。アイディアの元はイエス・キリストにあっても完成した映画はトラン・アン・ユン監督の美意識に貫かれてますからね。まあ、個人的には好きな作品ではありあます。

web上でいくつか読んだ感想の中で、成る程なあーと思わされたのがこの方の感想。

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アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン (toe@cinematiclife:2009.06.09)

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そーかー、そういう見方かあ、と納得させられました。問題はキリスト教でななく監督の生い立ちと世界の構造の理解にあったのか。

そして同化といえば、何かフルーツ・チャン監督と似た感じもする。香港の高層ビル群(プラザ・ハリウッド)と原っぱの絵なんて、『ハリウッド★ホンコン』を思い出したし。彼も香港と外部世界の関わりを描き続けてきたしね。残酷描写も得意だし。

そういえば『女優霊』のリメイクはどうなってるんですか?監督。


そうそう、サム・リー君が出てましたね〜。最近の彼、こんな使われ方多くありません?『インビジブル・ターゲット』とかね。悔しい〜。『ドッグ・バイト・ドッグ』くらい活躍させろっちゅーの。

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2009.06.10

Y150<開港博>ラ・マシンに乗れる日がくるかも!と、夜のクモ

本日(6/10・水)付けの神奈川新聞<カナコロ>ローカルニュースより。

開国博Y150有料入場者数低迷でテコ入れ策、クモ型ロボットに一般客搭乗へ/横浜

「テコ入れ策」ってのが悲しい気もするが、これが実現したら是非乗ってみたい!ってこれは、乗って、実際に動かしてもらえるのでしょうか?それとも止まってる状態で操縦席に座らせてもらえるだけ?個人的には時々スタッフの人がやってるようにあの動いてる足に乗ってみたいんですが、ダメですか?

しかし!知らなかったですが、6/7(日)から土日限定の子ども(小学生以下)限定で、止まった状態の操縦席に座らせてもらえるイベントが試験的に始まっていたのですね。へえ〜。

◇【開国博通信Vol.40】ついに!ラ・マシン体験搭乗スタート! (横浜ウォーカー:2009.06.08)

操縦席に座れるだけでもいいなぁ〜。ところでお台場のガンダムは乗れるんですか?

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しかし、まあ、Y150、平日は確かに空いてますなあ。修学旅行らしき集団とかがちらほらいるけど。無料巡回バスもガラガラだし。既存のもので頼るとしたらラ・マシンは手っ取り早いんでしょうね。でも、いかんせん「はじまりの森」にラ・マシンのクモちゃんは狭すぎるよ。あれはプレイベントでも明らかなように街を練り歩いてなんぼのもんでしょ。てか、そもそもそういう目的で創られているし。あの狭い「はじまりの森」で、ただ直線的に行って戻ってくるだけじゃ、街と巨大なクモとの異化作用なんて生じようがないし、人との交流もドラマ性もあったもんじゃない。祝祭空間にならないんだよ。残念ながら。かといって、今更無料空間に出すわけにもいかんのでしょうね。で、人を乗せて客寄せ?

てことで6/9(火)、曇り空の下、(プレイベント以外では)初めての夜間歩行を見てきました。(クリックで拡大)

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もちろん夜でも水は出します。

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それなりのライトアップがほどこされてます。

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夜景との相性もよろしいのです。

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